約2年にわたりNPO君日記として駄文を記し、途中からブログにして掲載して頂き、大変感謝しています。しかし、ここ半年はほとんど日記も書かず、過去に書き留めたものを小出しにして、ホームページ担当者に渡していたものであります。この際、当日記は閉鎖とし、根ぐされしている日記など終わりにしたいと考えたものです。

 本来、NPO法人立ち上げや運営の中で感じた、問題点や思いを記すのが目的で有りましたが、当初から目的をそれて身辺雑記風になっていました。
 そうでは有りますが、NPO君としては30年ぶりに帰ってきた我が故郷で、離れていたからこそ思う事どもを、いま書き記したかったものであります。

 日記とは、ブログとは、多分に第三者を意識しているものと考えます。

 NPO君もだれかに読んでもらって、そうだそうだと言って貰いたい気持ちがかなり有りました。このメッセージは解っただろうか、伝わっただろうかと思い始めると書けなくなり、書けないと面白くなくなり、放り出してしまう。

 そうでは有りましたが、いささかでも、NPO君の故郷讃歌、人間讃歌の気持ちが伝わったとすれば、救われる思いであります。
 この思いをブログという形で長期にわたり、掲載して下さった本光寺・円満の会の関係者に感謝申し上げます。

                                                                  平成18年10月2日


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 形は変わっても、多分江戸時代から続いているかもしれない親父報恩講 の世話役を務めました。
 このあたりの地区では10月から12月にかけて、お手次のお寺の報恩講、家報恩講(自宅でのお参り)、町内の各種報恩講(年代別とか、地区毎)が催され、この時期どこかで正信偈の声が聞こえる。最近になってようやく小松とは特別な土地だとつくづく思う次第であります。
親父報恩講
 親父報恩講は初老から還暦までの男性を対象に、12月の日曜のお昼、お参りをし、夕方から懇親会をします。対象人数は約180人いるにもかかわらず、お参りは世話人のみ、他は仏教会、老人会の皆さんを合わせて参加30名程度であります。そして懇親会参加者は40人程度で、どちらも少なく困っています。
 親父報恩講2
 若杉町は550戸・1960人位の町です。ここ10年近くで急激に人口が増えました。この町内18班を9人の世話人で案内・出欠・集金・当日お世話をする訳です。当日は世話人の奥さん方にも手伝って貰います。代表世話人は同級生の林先生、NPO君は会計と司会を担当しました。こうやって毎年次の人達に譲って行く訳ですが、懇親会にも出ない人が増え、また行事の意味を理解しない人も増えています。欠席の人はろうそく代として千円を徴収します。この集金でもめる事もあるようで、世話人自体もなる人がいなくなっています。
 親父報恩講3
 しかし、これをやめたら二度と出来なくなるでしょう。若杉町の伝統行事「親父報恩講」、年に一度、親鸞聖人 の御徳を偲び、同世代の懇親の場を持つ事は必要だと思っています。そうは言っても宗教行事でもありますから、難しい所です。また、原住民(元々の町民)が少数派となり、なかなか理解されません。
NPO君は来年招待者のほうに座り、親父報恩講の卒業となります。来年はまだ大丈夫でしょう。

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 11月20日()、一水会の今年の締めくくり行事「感謝祭」であります。第一弾は、朝から餅つきと大根の販売です。

若杉町一水会感謝祭1   第二弾は午後から会員の親睦会です。
NPO君は、今年は仕事の関係で午後の部懇親会の出席でした。一水会役員の皆さんは朝早くから、販売用の大根を畑に取りに行き、その後餅つきの準備と大変だったと思います。昨年はNPO君も役員で一日手伝いましたが、大根売るのも楽しいし、餅をつくのも心が弾みます。  

 日本人にとって餅は特別です。蒸籠で蒸しあがったもち米をちょっとつまんで口に入れ、塩をさっと一振り、小づきをしっかりやります。もち米が纏まり始めたら、手返しとの呼吸を合わせ、ペッタンとつき始めます。若い時は一臼連続で搗き上げたが、今は途中で交替しないと息切れです。

若杉町一水会感謝祭2
 搗き上がったばかりのお餅の美味しい事といったらありません。醤油のかかった大根おろしにたっぷりつけて口に放り込む。また餅つきの機会はあるので、今日は我慢です。

勿論、餅は町の皆さんに無料で振舞います。大根は格安で販売します。沢山の人だったようです。嫁に写真を撮ってもらっておきました。
 午後から仕事を終え、懇親会に嫁と一緒に参加です。50人近くの参加者でその賑やかな事。鍋を囲んで皆で一杯やるのは幸せなことです。


若杉町一水会感謝祭  若杉町に帰ってきて丸8年、すぐに一水会に入って町の先輩方と一緒に活動させて貰いました。本日は、皆さんそれぞれが回りに感謝の日でありますが、NPO君に取りましては、特に会員の仲間・先輩に感謝申し上げる次第です。今後ともよろしくお願いします。









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 若杉堤から八幡温泉 へ向う道沿いに歩きますと、右手の奥が射撃場跡と呼んで、冬場は小学校のスキー練習場になっていたように思う。竹スキーで長靴をゴムで締めてエイヤーと滑っていたものです。 最近は住宅が増え、カラフルな屋根が輝いています。

清水山  何軒か営業している温泉旅館もあります。その東側の山沿いの道路から、清水山 に登る道があります。ここには一等三角点があり、昔から目印になる所だったのでしょう。低い山ではありますが、小松市街や、梯川、能美平野が一望出来ます。 東には白山が霞みます。

 この東側、目の下を国道8号バイパスが通り、その傍らに浄水寺遺跡があります。池の跡や礎石が一部残りますが、バイパス工事で削減されてしまいました。ここが円満寺発祥の地で、その円満寺こそNPO君の勤務先の本光寺 の前身であります。ここらあたりの事はもう少し詳しく調べたいと思っています。


浄水の池  北側に、清水山を見下ろすような大きく高い建物があります。これが八幡メディカルセンター です。八幡温泉が開湯、その温泉を利用した温泉病院や、北陸科学体力研究所などが発展し、ケアセンターもある一大医療健康センターになったのでした。近くにこのような医療施設の整った病院があるという事は、安心であります。




 その八幡温泉の総湯が病院の下手にあり、NPO君も時々利用しています。昔はプロ野球選手がシーズンオフに身体の手入れに来ていたと言います。
 里山が平野に出るあたりの恵まれたところ、八幡から若杉、吉竹と続くこのあたりこそ我が故郷であります。憩いの森を中心にもっと人が集える場所に出来ないでしょう か。そんな事を思いながら、散歩をしています。(続く)

メディカルセンター



 









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舞台   総合案内所から東に入り、坂を越えると芝生広場と舞台が あ ります。東屋や遊具もあり、ここへ来ると「菊」は大喜 びです。北に向かい竹やぶを抜けたところには芝生の丘があ り、滑り台などもあり、こちらも「菊」の大好きな場所で  す。

 この芝生広場と舞台は、各種イベントの会場によ使われてい ます。周辺の植物には万葉名の名札が下り、その植物が出て くる和歌が立て札に書かれています。これはありがたい事で す。但し時々読み難くなっている名札もありますので、管理 されている方は大変でしょうが修繕をお願いします。
  
 西谷家住宅  広場から道路沿いに北へ向かうと茅葺の屋根が見えます。 西谷家住宅です。実際に住んでいた住宅を移築保存していま す。江戸時代の山の暮らしが偲ばれます。ここから吉竹堤が 見わたせます。
   
  春は桜、今は水面にカルガモが泳いでいます。堤にかかる 橋のたもとに、水芭蕉の咲く湿地があります。僅かの株数で すが、白いきれいな花を咲かせます。市街地から近くまた低 地で咲くのは珍しいのではないでしょうか。
湿地   
  橋を渡るとサイクリングロードが横切ります。吉竹堤と若 杉堤の間を昔走っていた尾小屋鉄道の線路跡です。バーベ  キュー場のあたりに遊園地前と言う駅がありました。NPO君 達が中学生の頃、若杉堤で泳いでいましたが、列車が通るた び大騒ぎして水に潜って隠れたりしていました。勿論随分前 からここは水泳禁止ですし、今思うとこんな危ない汚いとこ ろでよく泳いだものと思います。現在、修理のため水抜きさ れ無残な姿をさらしています。
 
  この堤の周りの山は、四季それぞれに子どもたちの遊び場 でありました。春は焚き木ひろい、夏は水泳、秋はコケ取  り・クリひろい、冬はスキーと懐かしい限りです。(続く)




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 以前に「散歩で見つけたもの」として、憩いの森の周辺で見つけたものを紹介した事があります。家の駄犬「菊」と散歩をしていると、まだまだいろんな物や事を見つけます。少しずつ紹介できればと思います。
 最近は吉竹町側の駐車場に車を置き、菊を連れてそのあたりを散歩する事が多い。そこでまず「憩いの森 総合案内所」の周辺をご案内します。
 11

先ずは幡生神社です。駐車場の北側の森に鎮座しています。平成5年9月に放火によるものと思われる失火により全焼しました。たまたま単身赴任先から帰省していて、消防自動車がサイレンを鳴らし走って行った先に黒い煙がモクモクと上がっていました。
 
幡生神社

このあたりでも由緒ある、織物の神様を祭る神社でしたが、焼け落ちる本殿を見ながらだれがこんな事をと腹立たしい思いをしたものです。平成10年4月に再建落慶しましたが、吉竹町の皆さんの大変な負担があったと聞いています。
 大きな椎の木が何本もあり、椎の実が沢山落ちています。今では拾う人も少なくなっています。
総合案内所の横に、サル舎があり一匹のサルがいつも寂しそうにしています。
芦城公園 にいたサルで、公園に「千叟屋敷と玄庵」(裏千家の茶室)ができる時にこちらに移ったと聞いています。
 
サル

NPO君が高校生の頃(約40年前)、芦城公園にはサルとイヌワシがいて、学校の行き帰りによくサルを冷やかして行ったものです。その何代目かのサルでしょう。
 綜合案内所の裏には最近梅の木が植えられている。青年会議所の事業だと言うが、小松市の市花は梅でありますから、梅の名所になってくれれば良い。 散歩の楽しみが増えてよい事だ(続く)

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 中谷さんはいつも本光寺朝市 (毎年4月~10月第一日曜日午前6時~同8時開催)に顔を出して下さいます。中谷さんは俳人にして陶芸家 、エレガントで素敵な才女でいらっしゃいます。

 その中谷さんが何年ぶりかに個展を開催されています。11月15日から12月11日まで能美市の九谷焼資料館 で開催中、NPO君は是非拝見しなければと先日出かけました。
美術館

 会場に入りますと、先ず目を見張りますのが、大きな皿や花器と思われるオブジェです。白磁に淡い青などをほどこし、大きなうねりや線が入ります。独特の中谷ワールドでしょうか。これが何点も並ぶと本当に圧倒されます。

 隣には、小品も並びます。自作の俳句と絵が描かれています。置物、陶板、酒器などとしてどれも素晴らしいものです。俳画も掛けられ、そのセンスの良さにまた感心させられます。日展金沢展や工芸展などで、何点か拝見した事はありますが、これほどの量と力作にあったのは今回が初めてであります。中谷さん有難うございました。
美術館2
 
聞くところによれば、小松市の本陣美術館 名誉館長でもありますし、小松俳文学協会の理事でもいらっしゃいます。以前、加賀八幡温泉病院(現八幡メディカルセンター)近くに住まわれ、シーズンオフの身体の手入れに来ていた大リーガーの野茂投手を始め近鉄の選手に焼き物を指導したとも聞いています。ジャパンテントの留学生に俳句を指導したとも聞いています。
一度ゆっくりお話をお聞かせ下さい。

※ 先日中谷敦子さんはお亡くなりになりました。
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2005年11月6日(日)恒例の公民館主催の文化祭が催された。NPO君は午後半休を取り、公民館に向った。

 嫁は母が入っている施設のイベントで、そちらに出かけている。2時から演芸会で、公民館に着くと広間は人で一杯です。最初は保育所の子どもたちや小学生低学年の遊戯やよさこいなどが続き、親のほうが熱心で必死にわが子の応援をしていて大変です。
文化祭
 
とりあえず顔馴染みの連中に挨拶し、2階の作品展示室に向かい「町誌完成コーナー」を覗いた。コーナーを作りPRしなければと言って、準備は全く人任せのNPO君でしたが、林先生や坂本さんが立派なコーナーを設けていました。

 4年前には公民館長として文化祭を仕切っていたNPO君ですが、随分昔の事のように思われます。2階の展示物が少なくなっています。何か手を打たないといけないなどと余分な心配をしてしまいます。
文化祭  もうおでんは売り切れだったのでヤキトリとビールを求め、広間にどっかり座りました。後はビールを飲みながら演芸を楽しむだけです。

 近隣の町内で、当町ほど熱心に文化祭を楽しんでいる所はないでしょう。婦人会の踊りあり、マジックあり、歌謡舞踊あり、合唱あり、極めつけは一水会と公民館役員の演劇であります。何事もスマートに済ませる若者が、おじさんと一緒に泥臭いというのが当てはまるような芝居に取り組んでいる。町内の大向こうのばあちゃん連中を喜ばせている。
文化祭

 この文化祭がこれからも続きますよう公民館の若手の皆さん頑張って。そして他町の方も一度覗いてみて下さい。
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 大聖寺 は加賀市の中心市街地で大聖寺藩10万石の城下町、名所旧跡・文化財にこと欠かない所です。
 しかし、隣の町でありながら、特別に用事でも作らないとなかなか行く事は無いものです。今回は「深田久弥  山の文化館」を訪ねる必要があり、たまたま近くを通りかかりここに立寄る事にしました。

 江沼神社 江沼神社長流亭 はガイドブックで見た事はあったが、訪ねるのは初めてでした。北に大聖寺川、西に錦城山をひかえて、市街地の端に広大な敷地を占めています。

 ガイドブックによれば、宝永元年(1704年)大聖寺藩三代藩主前田利直邸に遠祖菅原道真を祀り、当初天満天神社と称した。明治10年に江沼神社を、明治12年に松嶋神社を合祀し現社名となる。境内にある前田利直の休憩所と言われる長流亭は、宝永6年建立で国指定重要文化財となっている。
長流亭

 長流亭拝観は要予約となっているので、大聖寺川 に臨む建屋を外から見るだけにして境内に入った。拝殿の南側は大きな池を囲んで築山があり、樹齢も古い木がうっそうと茂り、これこそ大名庭園だという雰囲気である。池泉回遊式の庭で歩くたびに景色が変わります。拝殿よりも庭のほうが立派ですか。
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 深田久弥の記念碑を見ながらブラブラしていると、お婆ちゃんに母娘の三世代が、仲良く椎の実を拾っていました。最近は拾う人も少なくなりましたが、NPO君は久し振りに子どもの頃を思い出し、懐かしい気分になりました。秋のちょっといい時間を過ごさせて頂きました。
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 宮さんが住職のところに持って来られた第1号作品   は、掛軸に桜・カタクリ・いちりん草などが浮かび上がり、クロアゲハが桜にとまっているものでした。これは絵か写真か、そして掛軸にするために相当苦労されたようであるが、絹地に裏打ちされた優雅な作品でありました。これが大和写真の究極の姿でした。
 宮さんは、自然と文化、特に白山とその植物に関しては何冊もの写真集も出されているし、またいろんな本を著されています。写真家であり登山家であり著述家でもあるマルチな才能に溢れた人です。宮さんにして初めて完成した大和写真掛軸であります。
みや3
 円満夏まつりの巨大生花再現には、さっそく写真を何十枚と撮って帰られ、これを大和写真掛軸に仕上げて持って来られました。
 10月の本光寺 報恩講のギャラリーサラ   の寺宝展に合わせ、三幅一対の「古代蓮     」を写した大和写真掛軸を仕上げられました。これらは本光寺にありますので興味のある方は事務所にお申し出下さい。NPO君がご案内いたします。
みや4
 そして、今回の「山の文化館」展示に到るわけです。宮さんの数千点に昇る白山の写真から選りすぐったものを、さらに館長の高田宏氏が春夏秋冬9点ずつ36点を選び、これを大和写真掛軸として展示しています。北斎の「富嶽三十六景」になぞらえて「白山三十六景 」として、この11月から来年7月まで月替わりで4点ずつ計36点が展示されます。また毎週一点ずつ北陸中日新聞で紹介されます。
 ボタニカル・フォトからここに到る宮さんの努力の集大成を、是非一度大聖寺「深田久弥 山の文化館   」へ足を運んで  見に行って下さい。

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